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レジ袋の有料化 [新聞]

それ自体プラスチックゴミの削減としては
かなりランクが低い、と言う記事が新聞にありました。
今更なんですよねぇ。

かなり声は小さかったけど
レジ袋の有料化が言われる度に
どこかには書かれていたことで、
何故それを声高に叫ばないのか、
それを根拠にしてターゲットを変えさせることが
何故できなかったのか不思議なんです。

で、新聞での取り上げの今更感。
すでに決定された今、知らせたところで
意味を感じないんですよね。

しかも増税のタイミングでの有料化も
消費者を苦しめるだけで
何がしたいのだろうという思いですね。

さらに新聞にも書いてありましたが
レジ袋は基本的に県や市が指定する有料のゴミ袋と同じ素材。
ゴミ袋が有料になる以前から
ゴミ出しの袋として有効に使われてきたものです。

それを「レジ袋のゴミ袋使用」を不可にして
「有料ゴミ袋」のみのゴミ出しを主導。
つまりその時点で「レジ袋」が
有効活用のできないゴミになったわけですね。

以前、施行されたときも言われましたが
レジ袋の代わりにマイバッグを用意することで
余計な出費があり、ものによっては別のゴミを増やしただけ
なんてな声もありますね。
実に不思議な展開です。
これも増税同様、本来の目的以外に
影で私腹を肥やすシステムになっているんだろうなぁ、きっと。
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アンガーマネジメント [新聞]

ワイドショーに出ている元サッカー選手の言葉で
知ってはいましたが、今朝の日曜版に特集されていました。

僕の理解では、件のサッカー選手
腹を立てて怒ったことで暴力を振るい
事件になってしまったことを反省して
怒りをコントロールする方法を学んだ、とか。

と言うことで怒るような出来事に遭っても
暴力を振るわないようにコントロールできるようになった、
と思っていたのですが、新聞を読むと、なんか違う。

テニスプレイヤーが自分のプレイに腹を立てて
ラケットを地面にたたきつける…これもコントロールするらしい。
確かにマナー的に責められる行為のようですが
あの行為で自分の中の怒りを発散させる効果があると思っていました。
マナー違反だし見た目も悪いからと言って押さえていたら
ストレスが溜まると思ったのですが…

ウィキを見てみると
適切な場合には前向きに捉えていいものだと考えられる…
とあります、やっぱそうだ。

基本的に周りに迷惑な形で発散するのはNGって事ですよね。

僕の場合、他人の行為や発言に苛立つこともあるし
怒りも溜まりますが、暴力に移行することはない。
理由は簡単、対象相手に暴力を振るったときに
反撃されたら負けることが分かっているから(笑)

とはいいつつ過去には喧嘩になったこともありますが
ただ、記憶ではそういう喧嘩になった相手とは
その後、仲良くなっているんですね。

いつまでもしこりが残るのは
言葉で攻撃され、挑発されて
こちらが手を出すのを待たれているとき…
基本的に手を出すことはないので
相手の望むようなことにはなりませんが、
怒りを発散できないのでストレスは溜まったまま。
相手と仲良くなることもありません。

アンガーマネジメントがどう扱われているのかは分かりませんが
単純な怒りはお互いに解放させた方が良いと思う。
下手に制御したつもりでため込むと
いずれ爆発するような気がする。

実際、喧嘩をした相手との原因は憶えていませんが
反撃できず、嫌みや挑発をされた言葉は
今でも時々思い出してしまいます。
どちらかといえば、こういうストレスをなんとかして欲しいですが。
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日本人の新聞離れ [新聞]

原因はネット、いつでも手元にニュースが届く
ほぼそういう感じで捉えられています、うん。
僕も基本的にはそう思うのですが…

とはいえ、子どもたちが成人する頃にも
特に新聞を読んでいる様子はなかったですね。
ま、その頃からPCもスマホも必需品ですから
子どもたちもそうだった可能性もありかも、ですが…

たまに新聞で見たニュースに驚いて
子どもたちに話してみると知らないことが多い…
あれ?ネットで知ってるんじゃ?

考えてみれば新聞を読まなくてもネット以前に
テレビで大まかなニュースは知ることが出来るじゃないですか。
大きな流れとしてのデジタル社会の影響と言えるようですが
ネット以前のメディア媒体が昔と比べていっぱいです。
新聞紙やラジオ、テレビ、週刊誌は昔からのものですが
それぞれが多彩になっている。
それに加えてネット、という感じでしょうか。

新聞を読んでいなくても
テレビを普通に見ていれば緊急のニュースは
番組を遮って伝えられるし、
週刊誌などは本誌を読まなくても
記事にされたいろいろな話題を新聞広告で知ることが出来る。
詳しく知りたければネットで検索できる。
深く内容を知りたければ、逆に新聞では物足りなくなる可能性もある。
…といったところでしょうか。

あえて言えば新聞自体は昔から一般受けするために
広く浅く多彩な情報が載せられている。
そこに読者としては少し不満があるのかも知れない。
深い話になると論説とかで語られたりしますが
最近の新聞は偏向報道も多くどこかに誘導されるような感じもしなくない…

う〜〜む…結局原因が分からない。
知りたければネットで知ることが出来るから
わざわざ金を払って新聞など購入する気にならない
ってなとこなんですかね。

いろいろ考えてみたものの
僕自身新聞を読むと言ってもほとんど拾い読み。
タイトルやら、ざっくり内容を見て面白そうな記事にしかしっかり目を通さない。
ネット検索とほぼ同じです。
希望するとすれば、知りたい以上の情報が欲しいところですが…
そのあたりは新聞でもネットでも消化不良になることが多いなぁ。
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沖縄の交通事故で新聞報道 [新聞]

ある新聞記事で
交通事故に巻き込まれた米兵が
他の事故車両から日本人男性を救出と報道したが
事実確認せずの記事で
どうやら在日米海兵隊のツイッターに
「県民を救助した…」という記述があったため
記事になったらしい。

紙の新聞がこういう適当報道をするから
新聞紙の信頼性も落ちていくのですよ。
ただ、昔のように足を使って記事を作る姿勢が
何処の新聞でも減っているのは事実で
こういう誤報記事は出てしまうのだろうなぁと思ってしまいますが…

今回最低な行為だったのは
他紙が「米兵が救出」という内容を記事にしていなかったことから
この新聞は「地元メディアが反米軍に染まり黙殺している」などと
非難したということですね。

自紙が現地での確認調査をしていないのなら
他紙で記事になっていないことを受けた時点で
しっかり再調査することが先。
自分の記事で全く裏付けを取っていないにもかかわらず
他紙で取り上げていないことを非難するなんて馬鹿すぎ。
伝聞の適当報道を元に他紙を侮辱するなんてあり得ません。
この新聞報道こそ視点の偏った最低記事ですね。
こういう新聞や編集者は直ちに辞めて貰いたいものです。
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新聞の4コマ漫画が新しくなりました [新聞]

4コマ漫画といえば
基本は「起承転結」ということで
最後に落ちがある、お笑いと同様の形式を
四コマの絵で表すのでしたが
最近では様々な形のものが定着しているようです。

落ちたのか落ちなかったのかわからないような終わり方。
終止シュールに進んでシュールに終わったり
ほのぼのとした日常が落ちもなく描かれたり…

特に新聞の4コマ漫画などは
新聞を受け取った家族みんなが目にするということで
のんびりと、ほのぼのとした漫画が多いようです。

とはいえ、「漫画」なのですから
文字による説明は極力排除して
絵だけで話を伝えて笑いを誘う、ことが
4コマ漫画の形だと思うのですけどね。

今朝読んだ漫画は
絵がなくても全然大丈夫
文字だけで内容のすべてが分かるものでした。
つまり新聞に時折掲載される
親子のほのぼのとした話に挿絵が付いただけ。
カットによっては吹き出しが半分以上占めていたりしてね。
なんだかなぁ。

それと新聞の四コマって
昔は「毎日描くなんて大変な作業」と思っていたのですが
それは毎日の漫画の中に世相も反映されていたから。
つまり毎日のニュースに合わせるとなると
その日にしか描けなくなるわけなのですが…
今の四コマ漫画は、世相と関係のない日常を描くので
それこそ描ける時に描いておけばいい内容…
そう考えるとさらになんだかなぁ、の気分ですね。
もちろん「じゃお前が描けよ」と言われてもできませんけどね。

テレビがないと主体的な生活ができる [新聞]

新聞の投書欄でこんな書き込みを見て不思議な感じでした。
人がどんなライフスタイルをしようと知ったこっちゃありませんが
今時こんな発言をする人がいるのにはびっくりです。

まだ録画機器の浸透していなかった頃ならいざしらず
今や一週間の全チャンネルを録画できるなどというとんでもない時代。
どれほど視聴者が好き勝手な時間に見られるやら。
つまり自分主導でいくらでも好きな時に
番組を見ることができるわけです。

家族個人個人がスマホを使って
会話が消えてしまう、と言うのは全く別な話で
テレビから垂れ流される情報を受け取るだけの状態も
もとより本人次第。

ラジオを聞こうが本を読もうが
それで会話をしたいと思うのは本人の気持ち次第。
テレビを流していてもそこから漏れてくる情報をネタに
会話をすることは普通にできるんです。
本なんか読み始めたらそれこそ会話できなくなるのでは?
読み終えて本を閉じた時に何か思いついて会話するくらいですかね。
テレビを見ていても同様のことはできるはずです。

そこで家族の会話って思い返してみると
なんですかね、自分の心の内面について
誰かに話したことなんてほとんど記憶にありませんね。
友人と話すような会話を親としたこともないし
息子ともそんな会話をしようとすれば
たちまち会話は途切れるし…

英国紙「ガーディアン」があの騒動を「「日本の芸能界にはびこる性差別」と [新聞]

報道したとか、ふむふむ。
そういう見方もあるのか、という反面
相変わらずどこのメディアでも一面しか見ずに断言するんだな、という印象です。

ま、それ以前に英国紙がこんな遠くの国の
くっだらない芸能ニュースを取り上げること自体にがっかり。
どこの国でもマスコミって馬鹿な仕事なんだなぁと思うばかりです。

彼女がCMや仕事を干されたのは基本的に自業自得だと思うのですが
そこに性差別を感じるというのは
おおまかにいえば本来、同様に責められるべき相手の男が
何の罰も受けていないことによるもののようです。
その発想は理解できますが
とはいえ、これが逆の場合。
タレントが男でアーチストが女の場合だとどうなるかといえば
清純なイメージで売っていた男性タレントなら
ほぼ同様の制裁を受けていたのではないかと思われます。
特にCMに関してはね。
ま、日本の芸能界が少なからず性差別があるというのは
芸能界といえど日本の社会を映す縮図には違いないので
そんなものが全く無いはずがない。
当たり前の話です。
ことさらこの事件に限ったことではないと思いますね。

それよりも今回、件のタレントがことさら嫌われた原因は
LINEの会話…本物かどうかわからないのですが
本人が全く否定していないので
かなり信ぴょう性は高いのでしょう。
とすれば、不倫をしたという事実より
平然と嘘をついて騒動を収めようとした行為が
それまでテレビで見せていた顔と違いすぎたことが原因ではないかと…

もとよりほぼ興味のないタレントでしたが
あの発言で再び「タレントって屑ばっかりだな」
なんてな印象を強くしました。
今回一番最低だった行為はその部分で
番組を全て干されたり抗議が殺到したのは
そこだと思っているんですけどね。

もちろん芸能界ってなんか甘いところで
しばらくしたらしらっと戻っていることは間違いないのでしょうけど…

手を抜いた間抜けなマスコミに驚かされる [新聞]

AKB48握手会での傷害事件後
被害に遭った二人がgoogle+に元気な様子を写真と共に公開。
翌朝の新聞朝刊にはその写真が掲載されていました。
それ自体に「新聞は確実にネットに負けてる訳か」と思ったのですが、
ある新聞で取り上げられていた当人の発言とされる内容に違和感。
「まだ人が信用できません」
google+にはそんな発言はなかったけど…

聞くところによるとツイッターでの発言だとか…
写真をgoogle+からとっておきながら
そっちの投稿は読んでいないんでしょうか。
google+にはそんな発言が一切ないし
当人は過去においてツイッターはやっていないとも発言しています。
どうやら、ニセのツイッターによる
注目を集める目的のようなネガ発言だったようです。

安直にネットから情報を拾って記事にしてしまうからこういうことが起きる。
ま、今回の事件では今の時点で当人に直接取材する方が迷惑なので
自分の足で真実を伝えろ、とは言いませんが
胡散臭いネットからの情報は
その信憑性を確認してから記事にしないと
この先さらに嘘を記事にする可能性がありますよ。

文部科学省が「体罰」と「懲戒」の区別文書を作ったそうです [新聞]

体罰問題があちこちで増えてきたことに対して
文部科学省は「体罰」とはこんな行為。
こういった行為は「懲罰」目的で容認する、
といった内容の文書を教育委員会や学校に通知したそうです。

なんと馬鹿馬鹿しいと思いつつ
そういうことを明文化しておかないと
現場で立ち往生してしまう教師を憂いてのことであれば
それもありか、とも。

ただ、教師の側から見た時に
「体罰」と「懲戒」の区別がつかない教師がいるとすれば
情けない、というか驚いてしまいます。
マニュアルがないと行動できない教師が増えている、ということでしょうか。
もちろん、モンスターペアレントとか予想外の攻撃をしてくる親とか
単に机上の勉強しかしてこなかった人にとっては
驚きのことばかりでさらに学校側からはがんじがらめに縛られると
自分の描いていた教育が出来ない環境かも知れませんが…

それにしても数年前から悪化していた教育現場が
一向に良くならないというのはどうしてなんでしょう。

新聞の編集コラム [新聞]

立派な木の下に生えていた雑草を刈り取ったら
雑草を肥やしにしていた立派な木が枯れてしまった…
という落語の枕になっている故事があるらしい。
「まさか」と思って読み進むと、「原発」をその雑草に例え
日本経済を支えてきた雑草の意味を知る政治家の一部で
「原発ゼロ」を口にする人が出てきたのは解せない。
立派な木を守るために雑草を刈らないように努めるのが政治家の義務だ、
と新聞の編集コラムにありました。

まず「日本経済と原発の関係」を「立派な木と雑草の関係」に
例えることに無理があります。
雑草の欠点と言えば見た目だけのことで他に害を及ぼすことはない。
一方、原発はと言えば体裁はいいかも知れないが引き起こす弊害は計り知れない。
もっと研究が進めば弊害も減らせるかも知れないが
今のところ不安の方が勝っているのは誰もが知るところ。
さらに日本経済の肥やしになっていた、といわれても
その恩恵を受けていたのは日本国民の全体ではなく
政治家や一部の実業家、原発エリアの住人だったりする。

原発ゼロになれば「失業者200万人」という数字は
足下から切っている数字で、大もとでぼろ儲けしている輩がいなくなれば
数字もきっと変わるはず。
日本の国民の大半がこう感じているはず。
本当に必要なのは「肥やしのふりをして精神をむしばむ毒草」ではなく
「見た目は悪いけどしっかりと実になる雑草」なんですよ。

編集コラムは自社の意見をしっかりと伝えると場所なのかは知れませんが、
昔は練りに練られた文章が試験問題にもなったもの。
さすがに内容がそぐわないと思えましたね。
それにしてもここまで報道が偏ってしまっているとは…