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同じゴールを目指す者に何故体罰が必要なのか分からない [スポーツ]

体罰による自殺者や
多くの体罰体験者による告発とか
様々な場所で体罰に苦しめられてきた、という声が上がっています。
それによって体罰を加える指導がなくなるのかと思いきや
度が過ぎなければ体罰も時には必要、と
考えている人がいるようで
そう考える人たちを全く理解できません。

体罰を与える…つまり受けることの恐怖によって
二度と同じ間違いを犯さないようにする…行為は
本人の行為が明らかに間違っているのに何度も繰り返す場合、
つまり間違った行いを二度とさせないためになされるものだと思います。

人によってはそういったたぐいの体罰すら認めない人もいますが
犯罪を犯す人の中には口で諭すだけでは理解できない犯罪者もいて
仕方なく体罰を加えざるを得ない、ことも事実。

ところがスポーツに励むものにとって
指導者も生徒も目指すところは同じはず。
練習法が間違っていればより効果のある方法に変更すればいいし、
その部分に関してはお互いの密な議論によって解決できることだと思われます。
指導者だからと言って必ず正しいわけではないから
いろいろな意見を取り入れることによって改善していくべきことでしょう。
指導者と意見が異なるからと言って
体罰によって意見を変えさせることも間違いです。
結果を出せないから体罰を加えるなんて
さらに理解できません。
とにかく目指すゴールは一緒なのですから…
と思うのですけどね。
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